手のひらが背に触れる

 

なんなんだろうなあ、錦戸亮という人は。私にとって錦戸亮という人はなんなんだろう。

よく知っているけれど、何にも知らない。得体の知れない存在です。

 

錦戸さんが変わったのか、錦戸さんは変わらないけれどわたしが変わったのか、錦戸さんは変わらないまま見せる部分を増やしたのか、なんだかよくわからないけど以前とは違う姿をよく見るようになったなあって感じてます。

 

わたしたちが見られる部分だけではなくて、考え方とか、こうしたいああしたいって、そう簡単に見せてくれる、言ってくれる人ではなかったように思うんですよ。

 

 

 

歌割りの話です。

 

 

 

「ごめん、俺歌わせて」ってね。すごいね。

 

 

グループ背負ってるな〜〜って札幌初日でめちゃくちゃ思ったけど、グループなんてみんな背負ってるし。その重さなんて見るだけのわたしたちにはなんにもわからないけど。100を7で割っても6で割ってもそんなに変わらない、って言ってたけど。

ただ、やっぱり以前より背負ってるように見えるのは、わたしの目だけですか。

 

 

メンバーがグループ抜けるという経験は既にあったけど、その時に「ここを歌わせてほしい」と手を挙げたことはあったんだろうか。

 

有ったにしろ、無かったにしろ、今回抜けた彼以外であったら手を挙げることはしなかったんじゃないかなあって思ってしまった。思ってしまったんですよ。

 

「誰かが代わりに歌うくらいなら」って、それだけの存在だったんだ、ってなんかちょっとだけショックだった。

ショックというのはそれくらい彼のことを思ってたことがショックなんじゃなくて。それだけの存在だった人が彼の元から居なくなってしまったこと、どうしようもなく寂しくなってしまった。

錦戸さんの気持ちを思っていつでも泣きそうになります。

 

「歌う」ということ、表現の一つに過ぎないとは思うんですけど、アイドルにとって歌ってね、どういう存在なんだろう。

 

「歌割り」ってその歌の印象を決めるすごく大事なものだと思うけど、それを引き継ぐってどういう気持ちなんだろう。

 

わからないなあ。一生かかってもわからないんだろうな。

 

錦戸さんの歌割りを引き継いで歌い続けていること、すごく嬉しくて、でもちょっと寂しくて。でも決してその寂しさはマイナスじゃない。

だからそう思われてるといいなあって。なんかふと思いました。

 

 

 

あーーーー、好きだな。

わたしは錦戸さんが好きです。

ずっと好きでいられるんだろうと思います。

錦戸さんは好きを更新したいと思う人です。

ずっと更新していけたらいいなあ。

後悔したくない

 

このブログの書き始め、いつも何書いたらいいのかわからなくて後回しにする。

 

6人の関ジャニ∞(済)です。恐らく今からわたしはネタバレのようなものをするんだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

札幌初日と名古屋3日目見に行ってきました。(7月30日現在)

 

初日は緊張したなあ。スクリーンに映し出されたREBORNという文字に、本当に6人なんだ、生まれ変わるんだと思って鳥肌が立ったことを思い出します。

 

ライブ始まっても選曲一つ一つが本当にしんどくて、ずっとハンカチ握りしめてた。

 

わたしの大好きな関ジャニ∞でした。ライブを見てもっともっと好きになりました。

歌割の違和感がなかった。聴き慣れているどの曲も違和感がなかった。本当に色々話し合って、何度も練り直して、ファンのためにもめちゃくちゃ考えてくれたんだろうなということ、勝手に受け取りました。

 

6人でライブのリハーサルしてる合間に、7人最後のテレビ出演の連続。しんどい思いとかあったんじゃないかなとは思うけど、見届けられてよかったです。

 

錦戸さんは最後まで泣くの我慢すると思ってた。思ってたのに泣いてたからわたしも錦戸さんが泣いていると理解した瞬間泣いた。錦戸さんのあの涙はもう二度と見られないと思う。綺麗だったな、と思ってしまった。

 

すばるくん、盛大に送り出されてどう思っただろう。すばるくんを好きな人たちはどう思っただろう。

わたしは正直羨ましいと思いました。こんなに華々しくグループ抜けられると。

こんな時にも錦戸さんと重ねてしまって申し訳ないのだけれど、こんな時だからこそ言わせてほしいし、重ねるなというのはわたしには無理です。

 

錦戸さんがNEWSを抜けたこと、もうこの世の終わりかと思うくらい絶望したし、泣いたし、つらくて、悲しくて、どうしようもなかったけど、今はもう時間が、7年も経つとね、薄れるものもあります。

でもまだやっぱりいつでもあの時のこと思い出すし、思い浮かべては嬉しくなったり、悲しくなったりする。そうやってこれからも生きていきます。悲しんで懐かしんで強くなります。時間は何も解決してくれないけど、時間が強くしてくれました。強く生きたい。

 

わたしは6人の錦戸さんがいたNEWSが大好きだったから、錦戸さんに選んだ道を後悔してほしいと思ってたけど、めちゃくちゃ失礼なこと思ってるなと反省しました。

全て肯定するつもりはないけど、好きな人の選んだ道とかはやっぱり否定したくないじゃないですか。

でもやっぱりちょっと後悔しててほしいな。

すばるくんにも後悔してほしい。

 

わたしは沢山後悔してます。

あの時もっと◯◯しておけばよかった、なんて思った時にはもう遅いですからね。過去の自分に言ってます。

 

6人のNEWSの最後を見られなかったので。

 

だから6人の関ジャニ∞の最初で最後の初日を、多少無理してでも見に行こうと決めて行きました。結果行ってよかったなあと思ってます。

 

行ける時に行きたいと思うところには行っておきたい。後悔しないためにも。

 

 

関ジャニ∞が6人になること、期待はたくさんあったけど、不安もちょっとだけあって。でも6人でのライブ見終わってからはその不安はほとんどかき消された。それくらい安心できるライブだった。もっともっと関ジャニ∞というグループを好きになれる気がしました。

 

好きだな!これからも多分ずっと好き!

いつの錦戸亮もいつのNEWSもいつの関ジャニ∞も!好きでいさせてくれてありがとう!

 

6回目の羊の木を観たよ。

なんだって始まりがあれば終わりがある。

1年半くらい待ってようやく観ることが出来た羊の木も、公開から約1ヶ月、上映する劇場が少なくなってきてますね。私の家から一番近い映画館でも3月9日に上映終了しました。二番目に近い映画館は今日がラストでした。

悲しいなあ。と思ってもずっと流しておくわけにもいかないですもんね。週1ペースで観に行って、劇場がだんだん小さくなっていくのに、寂しさが募る。

 

今日は前から2列目の端っこで、目一杯羊の木を楽しんできました。

 

近いし6回目だし、今まで目に付かなかったところに目がいったり。でもまあ6回目なので先の展開は知ってるし。けどちゃんとドキドキしました。すごい映画だな。

 

6人を迎え入れるたび、反応が変わる様子が面白かった。

 

好きな人が町に帰ってきて、ちょっと浮かれている月末くんかわいい。

 

最後の岬のシーンを知っているから、最初の岬のシーンがとても悲しい。

 

やっぱり月末先輩と田代後輩がかわいい。

 

理髪店の店主の「大事なのは居場所があるってこと」がすごく沁みました。私もそう思います。

 

平和な街に居場所を見つけた元受刑者たちがたまらなく愛おしくなりました。

 

宮腰は杉山がいなければ誰も殺さずにいられたんだろうか。

 

人間そう簡単に変われるものではないけど、優しさや愛に触れて、変われる人もいる。

 

「死が終わりではない」こと。宮腰はまた生まれ変わって月末と友達になれるかな?

 

ずっと友達でいてほしかったな。

 

 

今6回目の羊の木を観終わった帰り道です。もう6回目だし改めて言うような感想はないけど、とにかく本当に見た人によって色んな解釈があるもんだなあ、と。私は深読みできないので、いい映画だったと言うしか出来ないんですけど。色んな感想を目にしたし、私と同じような感想の人、私にはない感想を持っている人。そう考えられて羨ましいと思ったりもしました。

いい映画だなあ、いい映画だったなあ。しみじみ。錦戸さんが好きでなかったらきっと観てなかったんだろうけど、錦戸さんが好きだからこの羊の木という映画に出会えた。

 

新たに公開する劇場も増えたし、ありがたいことに割と近い劇場で4月からの公開が決定しました。まだ見に行くつもりではあるけど。でもとりあえず一区切り。

ありがとうございました。いい映画に出会えてよかった。大好きな映画がまたひとつ増えました。

羊の木

以下ほぼネタバレ。

 

 

 

 

 

 

 

 

私が羊の木の世界にいたら私はきっと、テントに入ってきた大野を見て静まり返るうちの一人だと思う。結局そういうもんでしょ。厄介なことには巻き込まれたくないし、出来るだけ遠ざけておきたい。‬

 

月末という市役所の人を中心に、魚深という町と、人間と、元受刑者の殺人犯の転入者たちと、そんな話なんですけど。


‪誰もが自分さえ良ければ、自分さえ悪いようにならなければ、自分さえ助かれば、って結局最後は心の底で、自分さえって思いながら生きてると思うんですね。‬

‪月末があの岬で「自分さえ死ななければ」と思っていたら宮腰に近づかなければ良かったのに。それでも一人で飛び降りようとした宮腰の腕を掴んで一緒に落ちて。首を絞めて殺されかけたのに本気で止めようとした月末は宮腰の友達だったんだろうな。‬
‪宮腰はそんな月末と本当の友達になりたかったんだろうなと思うと、宮腰が魚深に来て、誰も殺さず、月末と本当の友達になれる、そんなもしもの未来を想像してしまって泣きたくなる。‬

 

今日までで‪2回羊の木を観たんですけど、1回目観た時も2回目観た時も、岬から二人が飛び降りるシーンで同じように同じところで心臓がギュッとなって思わず自分の右手で自分の左手首を掴んでしまった。手を握りしめてしまった。映画が一番盛り上がるところ、音楽も一番盛り上がるところ。‬
‪「ああこれからこの人たちどうなっちゃうんだろう」っていう得体の知れない不安と、希望。

‪先に浮かんだ宮腰は何を思ったんだろうね。文は。‬

 

羊の木2回目観劇後、音楽に震えすぎて勢いでサントラを買った。バンドで弾いていた曲や、あの時流れてたなあっていう曲、色んな曲があって、羊の木という映画を思い返すのに曲があった方が景色が見えるというか。観た人は是非買った方がいい。

 

「別れ」という曲。岬から飛び降りるシーンのバックでかかる、予告や色んなところで使われてる曲なんですけどね、月末と宮腰の別れなのか、宮腰とこの世の別れなのか、何との別れなのか。

映画を1回目も2回目観た時も泣かなかったんです。この曲を2回目観劇後に聴いたら泣けて泣けて仕方がなかった。

宮腰と月末と、魚深という町のその後を勝手に想像させられてしまって、寂しいですね。

 

‪宮腰との別れがあった後に、すぐ日常に戻ってしまう寂しさ。その間にはきっと色々あったんだろうけど。ラーメンを食べに行くという日常はきっと、変わってしまっても変わらない日常で、ラーメン屋さんの場所は昔行ってた場所ではなくて8号線のラーメン屋さんで、二人の関係性もきっと昔とは違うんだろうけど。それでもラーメンを食べるということは昔から変わらない月末と文の日常で。

そこに宮腰はどうやったって入ることは出来ない。

宮腰の日常はすぐに奪われてしまって、束の間の日常の中で一瞬でも月末と友達になって、文と恋人になったのに。魚深の住民で運送屋さんで、普通に炭酸買って魚も食べられたのに。

 

転入者6人のうち、2人は変われないまま死んでしまったけど、宮腰は変わろうとしてたと思うんだよなあ。あとの4人は、愛する人を見つけ、理解者を得て、芽が出て、少し希望が見えたことが、救いだったなと思いました。

受け入れてくれる人がいるかどうかじゃなくて、自分がそこでどう受け入れられていくか、その土地にどう馴染もうとするかだと思うんですよね。

 

のろろ様が町を襲った悪から、神様になったこと。

 

町に残る元受刑者たちが、町を守る希望になればいいなと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

錦戸亮が好きな人間としての感想は、とにかく顔が良い。それに尽きます。

2018年に2016年の錦戸亮が観れて最高でした。情報が公開された2016年に「2018年までファン続けてられるかな」っていう懸念も、全く必要ではなかった。

私が待ち望んでいたこんな素敵な、素晴らしい映画に錦戸亮が選ばれたというその事実が何よりも嬉しかった。

今後も錦戸亮がグループという肩書きを外して一人で戦える場所が、充実しているものでありますように。