羊の木

以下ほぼネタバレ。

 

 

 

 

 

 

 

 

私が羊の木の世界にいたら私はきっと、テントに入ってきた大野を見て静まり返るうちの一人だと思う。結局そういうもんでしょ。厄介なことには巻き込まれたくないし、出来るだけ遠ざけておきたい。‬

 

月末という市役所の人を中心に、魚深という町と、人間と、元受刑者の殺人犯の転入者たちと、そんな話なんですけど。


‪誰もが自分さえ良ければ、自分さえ悪いようにならなければ、自分さえ助かれば、って結局最後は心の底で、自分さえって思いながら生きてると思うんですね。‬

‪月末があの岬で「自分さえ死ななければ」と思っていたら宮腰に近づかなければ良かったのに。それでも一人で飛び降りようとした宮腰の腕を掴んで一緒に落ちて。首を絞めて殺されかけたのに本気で止めようとした月末は宮腰の友達だったんだろうな。‬
‪宮腰はそんな月末と本当の友達になりたかったんだろうなと思うと、宮腰が魚深に来て、誰も殺さず、月末と本当の友達になれる、そんなもしもの未来を想像してしまって泣きたくなる。‬

 

今日までで‪2回羊の木を観たんですけど、1回目観た時も2回目観た時も、岬から二人が飛び降りるシーンで同じように同じところで心臓がギュッとなって思わず自分の右手で自分の左手首を掴んでしまった。手を握りしめてしまった。映画が一番盛り上がるところ、音楽も一番盛り上がるところ。‬
‪「ああこれからこの人たちどうなっちゃうんだろう」っていう得体の知れない不安と、希望。

‪先に浮かんだ宮腰は何を思ったんだろうね。文は。‬

 

羊の木2回目観劇後、音楽に震えすぎて勢いでサントラを買った。バンドで弾いていた曲や、あの時流れてたなあっていう曲、色んな曲があって、羊の木という映画を思い返すのに曲があった方が景色が見えるというか。観た人は是非買った方がいい。

 

「別れ」という曲。岬から飛び降りるシーンのバックでかかる、予告や色んなところで使われてる曲なんですけどね、月末と宮腰の別れなのか、宮腰とこの世の別れなのか、何との別れなのか。

映画を1回目も2回目観た時も泣かなかったんです。この曲を2回目観劇後に聴いたら泣けて泣けて仕方がなかった。

宮腰と月末と、魚深という町のその後を勝手に想像させられてしまって、寂しいですね。

 

‪宮腰との別れがあった後に、すぐ日常に戻ってしまう寂しさ。その間にはきっと色々あったんだろうけど。ラーメンを食べに行くという日常はきっと、変わってしまっても変わらない日常で、ラーメン屋さんの場所は昔行ってた場所ではなくて8号線のラーメン屋さんで、二人の関係性もきっと昔とは違うんだろうけど。それでもラーメンを食べるということは昔から変わらない月末と文の日常で。

そこに宮腰はどうやったって入ることは出来ない。

宮腰の日常はすぐに奪われてしまって、束の間の日常の中で一瞬でも月末と友達になって、文と恋人になったのに。魚深の住民で運送屋さんで、普通に炭酸買って魚も食べられたのに。

 

転入者6人のうち、2人は変われないまま死んでしまったけど、宮腰は変わろうとしてたと思うんだよなあ。あとの4人は、愛する人を見つけ、理解者を得て、芽が出て、少し希望が見えたことが、救いだったなと思いました。

受け入れてくれる人がいるかどうかじゃなくて、自分がそこでどう受け入れられていくか、その土地にどう馴染もうとするかだと思うんですよね。

 

のろろ様が町を襲った悪から、神様になったこと。

 

町に残る元受刑者たちが、町を守る希望になればいいなと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

錦戸亮が好きな人間としての感想は、とにかく顔が良い。それに尽きます。

2018年に2016年の錦戸亮が観れて最高でした。情報が公開された2016年に「2018年までファン続けてられるかな」っていう懸念も、全く必要ではなかった。

私が待ち望んでいたこんな素敵な、素晴らしい映画に錦戸亮が選ばれたというその事実が何よりも嬉しかった。

今後も錦戸亮がグループという肩書きを外して一人で戦える場所が、充実しているものでありますように。